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① 和田峠
2021.05.30
峠手前の道が
天国の様にふかふかで
夢心地でした。
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② 馬籠峠
2021.07.11
妻籠の名残と木曽五木、
峠から望む美濃の田園、
異國情緒を感じました。
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③ 十三峠
2021.07.24
これでもかと現れる小峠
時々現れる里山風景、
終わらないで欲しかった |
(2)昼飯編
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① 深谷宿
2021.04.24
街道沿いの知人と会い、
共に歩いた後に寄った店
忘れられない蕎麦の味。
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② 和田峠山頂
2021.05.30
前泊した民宿みやで、
作ってもらったお弁当、
身体に沁みました。
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③ 塩尻峠下り道
2021.06.12
空腹絶頂時に現れた店で
ご当地ジンギスカン、
ビールが進みました |
(3)夕飯編
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① 高崎宿の日本酒バー
2021.05.01
群馬の知人と、
日本酒オタク経営の店で
人生を悟りました。
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② 大井宿の小料理屋
2021.07.23
雨上がり寄った裏道の店
店主と開会式を観て、
平和を感じた夜でした。
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③ 太田宿
2021.07.25
最高気温多発エリアの、
苦行の道を歩いた後の、
美濃の豚は別格でした |
(4)旅籠編
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① 追分宿 油屋
2021.05.15
階段を這い昇る姿を見て
翌朝部屋前にこの箱が、
歩く決意を頂きました |
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② 細久手宿・大黒屋
2021.07.24
大名の宿泊した部屋、
街道の文献と旅日記、
興奮し眠れぬ夜でした |
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③ 醒井宿・居醒庵
2021.08.20
窓の外には
川の輝きと街道の静寂、
何も要らない夜でした。
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(5)風景編
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① 小野の滝
2021.06.27
江戸時代の人々が道中、
どんな思いで眺めたか、
想いを馳せていました。
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② 南木曽町の木曽川
2021.07.10
この付近の木曽川は、
一生忘れられません、
そんな情景でした。
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③ 落合宿を望む坂道
2021.07.11
美濃に入り広がる平地に
土地の豊かさを感じつつ
寂しさを感じました。
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(6)穴場編
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① 本庄宿
2021.05.01
豊かな宿場町の栄光が、
町の隅から隅まで感じて
また来たいと思いました |
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② 茂田井間の宿
2021.05.29
鉄路・国道からも離れた
小さな町に酒蔵が二つも
衝撃を受けました。
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③ 木曽平沢
2021.06.13
奈良井宿の手前に、
普通に江戸が残っている
そんな町でした。
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(7)遺稿編
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① 和田峠下り石小屋
2021.05.30
急斜面に50mの避難所
石を運んだ人の苦労を想
い、立ち尽くしてました。
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石小屋跡
七曲り途中にある石小屋は、和田峠の中でも急峻で特に難儀した場所であり、特に雪が
降ると寒さに震える場所であったため、安政2年、下原村の名主らが旅人や物資輸送の
ため石小屋を建てました。
街道に面した方は囲いがなく、それ以外の3方を石で囲んだものですが、風雪は防ぐ
ことが出来ました。
和宮通行の際には中に炉と椅子が設置され、利用されました。高さは2mほど、街道
に面して30間(約55m)もあったそうです
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② 木曽の桟(かけはし)
2021.06.27
説明文を読んで、凄いと
大声が出てしまう、
そんな遺構でした。
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「木曽の桟、太田の渡し、碓氷峠がなけりゃよい」といわれた中山道の難所、木曽の棧
(かけはし)。棧とは断崖にへばりつくように築かれた参道のこと。
長野県木曽郡上松町の木曽川沿いに続く、中山道(なかせんどう)の難所。松尾芭蕉の
「桟橋や命をからむ蔦葛(つたかずら)」(『更科紀行』)など、多くの文人によって
歌が詠まれてきました。
木曽川沿いの古道には、断崖に設けられた桟道もあったのが名の由来です。
断崖部分を長さ102m、幅6.7m、高さ13mの石垣で補強し、その上に3つの
木橋を架橋。その後も補修が行なわれていますが、明治44年の宮ノ越駅〜木曽福島駅
間の中央線延伸開業により、石垣のみとなっています。
現在では旧国道19号の下部に石垣だけが残るので、対岸の駐車場からのみ見学が可
能。平成26年3月29日、対岸にかけはしトンネル、あげまつ大橋で抜ける新ルート
(国道19号)が完成しています。
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③ 無賃橋
2021.08.21
近江商人が富を分け与え、
無賃で渡れる橋を架けた、
心意気の遺構でした。
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(8)撮鉄編 |
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① 万世橋
2021.03.27
子どものころ
電車の本で見た風景が
蘇った瞬間でした。
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② 野尻宿-三留野宿間
2021.07.10
特急しなのに100回は、
遭遇している気がする |
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③ 大井宿
2021.07.23
中山道で一番低いガード
警笛音がし振り向いたら、
運よく撮影出来ました。
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(9)道標編
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① 是より南 木曽路
2121.06.13
数ある國境の道標の中で
木曽路が一番
テンション上がりました |
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② 中津川の舗装道路
2021.07.11
街道路面が特殊舗装で、
お陰様で迷うこと無く、
景色に集中出来ました。
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(10)本陣編
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① 下諏訪宿
2021.06.12
なんとなんとなんと、
二十八代岩波家当主より
お話を頂けました。
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本陣 岩波家
中山道随一の名庭園を誇る
本陣とは江戸時代の宿場で、大名や旗本、役人、勅使など身分の高い
人 が泊まった公認の宿舎をいいます。
ここ下諏訪宿本陣の庭園は、深山幽谷の景色と名石を集め10年かけて
作られました。
お庭の植物も江戸時代から変わっておらず、明治天皇の玉座となった上
々段の間から見る四季折々の装いは格別です。
現在は岩波家28代目が、本陣ならではの貴重な資料や調度品の数々など
の文化財を今に伝えています。 |
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② 落合宿
2011.07.11
保存状態の良い本陣が、
見学可能で係りの方に
丁寧に説明頂きました。
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落合宿本陣
ぎふ17宿の中で、唯一当時の姿を留めている大変貴重な建物です。
この建物は文化15年(1818)に建てられました。
明治14年に今までの板葺き平屋の建物を、土蔵造二階建てに立て直していますが、玄
関から上段の間までの内部、加賀藩の前田家から火事見舞に拝領したという正門は昔の
ままです。
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③ 草津宿
2021.08.22
中山道終わりの寂しさを
草津本陣の壮大さが、
吹き飛ばしてくれました |
草津宿本陣(くさつじゅくほんじん)は、
当主は代々田中七左衛門を名乗り、「田中七左衛門本陣」と呼ばれた。草津宿にもう1軒置
かれた本陣も田中家(田中九蔵家)であり、2軒を区別するため、木材商を営んでいた七左
衛門本陣は「木屋本陣」とも呼ばれた。
敷地や建物の大半が現存している中でも最大級であり、国の史跡に指定されている。
wikipediaより |
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